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SENZIN伝
2017.07.14
私の祖母【前編】
家族とはなんだろうか?
私は自分の家族が最近まで嫌いだった。思春期の若者が放つ青臭い言葉に聞こえるだろうが私は大真面目に言っている。
自由帳や、このSENZIN伝で紹介した父親との関係が修復されたのは最近の話である。
私は幼少の頃から、あの家族と呼ばれる集合体の中で『認めて欲しい、褒められたい』という願望が常日頃あった。
事ある毎に、それはそれは優秀な兄や妹と比べられてきたからである。そして蔑まされてきた。
スポーツに勉強と努力をした。努力をしたが親に褒められる事は無かった。 きっと努力が足りていないから褒められない。 そう思って努力しても決して褒められる事は無かった。
努力をして私個人が満足する結果を出しても、親が望む結果にならなければ、褒められる事はないのだから仕方のない事である。 最後には決まって「育て方を間違えた」と呆れられた。
親にエイヤッ!と、反抗してグレる勇気があれば少しはマシだったのかもしれないが、いかんせん小心者で堪える事しか出来なかった。
唯一の救いは、祖母であった。
パチ7のプロフィールにも書いてある通り、祖母から父へ、父から私へとギャンブルの血筋が受け継がれてきた。
祖母がパチンコが大好きだったという話は私の父親の姉、つまり私の伯母から1度だけ聞いた。
この事実は父親も知らなかったらしい。 祖母は厳しい人だった。だが……誰よりも優しかった。
私が幼稚園児の頃、共働きの親の代わりに祖母がいつも迎えに来てくれた。
登り棒という遊具をご存知だろうか?
約3m程の細い鉄の棒をただ登るだけの遊具である。一見簡単そうに見えるが、登る為にはコツとある程度の握力を必要とする。
祖母は私を迎えに来ると、その登り棒を私に毎日登らせた。いや、登る練習をさせたと言った方が正しい。
祖母は何故私を登らせたのか?その理由をよく覚えていない。
後に母から聞いた話では、同級生全員が登れるのに私1人だけ登れず、その事を聞いて登る練習をさせたらしい。 最初は全く登れなかった。園児の私は簡単に匙を投げた。
しかし、それを祖母は許してくれなかった。
「おだづなよ!(ふざけるなよ)真剣にやれ!」
祖母は友達や、迎えに来ている友達の親の前で声を荒げた。 叱られ、泣きながら登る練習をした。 毎日、同級生全員が帰った後も練習した。
何ヶ月後だろう?やっとてっぺんまで登れたのは。
てっぺんの景色は最高だった。遠方には、夕陽に照らされてオレンジジュースみたいな色をした海。間近には幼稚園の屋根の全貌を初めて見た。園児ながら感動した事を記憶している。
「やった!凄い!凄いぞぉ!」
下では満面の笑みで手を振る祖母。しわくちゃな顔が、いつも以上にしわくちゃになっていた。 いつの間にか担任の先生や、園長先生、他のクラスの先生も下にいた。 登り棒から降りると、祖母にワシャワシャと頭を撫でられて抱え上げられた。
「頑張った!頑張ったな!偉いぞ!」
祖母に抱え上げられながら、充実感で心が満ち足りていた事を今でも覚えている。
月日が経ち、私も生意気盛りになった。 何かにつけて祖母は口うるさく、私も売り言葉に買い言葉という典型的な反抗をしていた。
「文句ばり言ってドスガキが!ニッサこの!てぇげぇにしとけよ!(文句ばっかり言うなクソガキ!貴様大概にしとけよ!)」
私が反抗すると祖母が決まって言う台詞だった。
「はぁ?方言強過ぎて何言ってっか分かんねーんだよ!」
祖母の台詞に私が返す台詞も決まっていた。 祖母は140cm前後の小さな体で、私と真っ向から喧嘩した。 勿論どちらも罵声を相手に浴びせるが手は出さない。 いつも、どうやって喧嘩が終わったかは覚えていない。しかし、よく覚えている事がある。
私が祖母を完膚なきまでに口で叩きのめすと、必ず私の親にチクるのだ。タイルが私にあんな事言ったと。 そして私は親から説教を食らう。 私が親には頭上がらない事を知っているからこそ出来る祖母の最終手段である。
そう。祖母は極度の負けず嫌いなのである。 その負けず嫌いの性格はパチンコにも通じており、少しでも負けてると止めず、捲るまで打ち、結果的に捲れず大敗を喫して、小さな体が余計小さく見える程に肩をガクーンッと落としてトボトボと帰路に着いたという話を伯母から聞いた。
そんな祖母に中学3年生の春、茶の間で唐突に言われた言葉がある。
「将来お前はどんな大人になるのかね?なんでもいい。やりたい事やれ。高校だってな?どこだっていいんだ。お前は優しいし頑張れる子だ。タイルがどんな事をしても応援する。タイルの味方だから。」
私は気恥ずかしくて、テレビを見つめながら「ふうん、そう。」と一言しか呟けなかった。 いつも口喧嘩ばかりしていた祖母がそんな事を言ってくれるなんて拍子抜けだった。
それから数週間後。 突然だが、私の家は祖父が柔道家兼ボクサー、父親が空手の師範という武道の家系だった。その為、幼少期から空手を父親から習わざるを得なかった。
学校では小さな中学だったので野球部兼陸上部という掛け持ちだった。駅伝が強く、県内でも全国大会の切符を賭けた大会の常連だった。そして私もレギュラーだった。
サラッと自慢するが、私は県駅伝で7人抜きをしてチームを上位まで持ち上げた。中学の時は1500m走を5分切れない人間はクズだと思っていた。
だが安心していただきたい。 あの頃の面影……今は皆無で堕落したボディーとなっている。
ハードな陸上や野球の練習を学校で行い、帰れば空手の稽古。夜は猿のように……そこはご想像にお任せしよう。
とにかく、中学3年生にして腰を酷使し過ぎて腰痛となった。
ヘコヘコと家の中を歩く私を見て祖母は 「だらしない!シャキッと歩け!」 鬼婆である。
「腰痛いんだよ!」 私が必死な顔で反論すると、祖母はドヤ顔で
「婆ちゃんも腰痛くてなぁ。でも!ブロック注射を腰に打ったらほら!この通り!全く痛くないっ!」
祖母は腰を突き出し、片手で勢いよく自分の腰をパァーンッと叩いた。私は、一体なんの通販番組を見て祖母はこんな動きを覚えたのかと中学生ながら心配になった。 私は注射に対して嫌悪感しか抱いていない為、断った。
「情けない。注射すれば楽になるのに。」 ヘラヘラと笑いながら祖母は台所へと消えていった。
次の日、学校から帰ってくると祖母は家からいなくなっていた。 母に聞くと腰痛が悪化して入院したらしい。
(ブロック注射で良くなったって自慢してたくせに……。)
でも3日位で退院してくるだろうと思っていた。 3日が経ち、1週間が経ち、1ヶ月が経った。 祖母は病院から帰って来なかった。
流石に私も心配になり、父や母から祖母の病状を聞いた。 しかし、有耶無耶な答えばかりで真相は分からなかった。
テレビでは真夏の甲子園を舞台に連日、高校球児達がしのぎを削っていた。
その年のドラフト注目株であった寺原選手率いる日南学園は準々決勝にて敗退。日大三高が深紅の優勝旗を持ち帰り、その夏の甲子園大会は閉幕した。
祖母は、甲子園が閉幕しても自宅に未だ帰って来なかった。
つづく。
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- タイルまん
- 代表作:SENZIN伝-僕らもいつかSENZIN-
祖母から父へ、父から自分へと脈々と受け継がれてきたギャンブルの血筋。何故か博才だけは受け継がれなかった哀れな駄目人間。
今日も貴方と同じ空の下の何処かで負けています。
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遅れて申し訳ありません!
この方言分かってくれるってかなり嬉しいっす!
俺は、おだづもっこ(お調子者)だったから
祖母に関してはどこも同じらしい