- パチセブントップ
- コミュニティ
- パチ7自由帳トップ|ブログコミュニティ
- コラム(ブログ)詳細
にーまる昔話 その5
にーまる昔話 その5
-
さん
- 投稿日:2015/07/23 10:29
お久し振りですにーまるです。
プライベートでの不調と、間が空いたことによるモチベーションの低下により、このまま引退→引きこもりもやむ無しと思っていましたが、なんとか生き返りました。
とりあえずこの書きかけのシリーズは何とかしなければね。
ということで昔話の続きです、どうぞ。
その1→https://pachiseven.jp/columns/column_detail/792#contents
その2→https://pachiseven.jp/columns/column_detail/807#contents
その3→https://pachiseven.jp/columns/column_detail/848#contents
その4→https://pachiseven.jp/columns/column_detail/874#contents
(※タイトルはバラバラです)
(前回のあらすじ)
家庭の事情で実家に帰ったにーまるは、職もなく暗鬱な日々を過ごしていた。そんなある日、パチスロ漫画誌の求人記事が目に入った。応募する宛もないものの、暇潰しに履歴書添付用の作文を書いてみたにーまる。それは誰にも見られぬまま捨てられると思われたが……。
(注:2002年~2003年頃の話です)
「お前、東京に未練あるのか?」
暇潰しの作文を書いてから数日後の夕食時、突然父がそんなことを言い出しました。
「は? まあ、あるといえばあるけど……」
なんで急にこんな質問をしてくるんだろう?
疑問に思った私の頭に浮かんだのは、すでに忘れかけていたあの作文の存在でした。
「え、もしかして見たの……?」
「置きっぱなしにしておくお前が悪い」
たしかに、雑誌に挟んだままとはいえ共用スペースに放り出していたのだから文句は言えないけれど。
それでも、勝手に読まれた恥ずかしさからつい怒りそうになったものの、ある考えがそれを止めました。
(こんな聞き方をしてくるということは、未練があるなら東京に行くチャンスをくれるということかもしれない)
(私が本意ではなく実家にいることを、父なりに気にしているのかも)
ならば、このチャンスに乗らない手はない!
そう思った私は、
「本当はまた東京で仕事がしたい」
「昔から漫画の仕事がしたかった」
「家のことがあるから無理だとわかっていたけど、諦めきれなくて作文を書いた」
と、本気半分出まかせ半分の台詞を並べて、父親の言葉を待ちました。
「……じゃあ、応募してみたらいい。後々まで未練を残すべきではないからな」
こうして、図らずも編集部に履歴書を送る流れとなったのでした。
それから数週間後。
私は高田馬場の某社でアルバイトとして働き始めていました。
福島からの履歴書など、書類の時点ではじかれるだろうと諦めていたら、数日で面接の電話がかかってきたのです。
もし合格したら家はどうするのかと聞かれ、
「埼玉の伯母の家に下宿する」
と答えると、では面接をしましょう、ということになりました。
面接では、半分くらいはお笑いの話をしていたような記憶があります。
あとで人伝てに聞いたところによると、好きな芸人を聞かれて「18KINです!」と即答したのを見て、「あ、こいつ変な奴だ」と編集長のなにかに引っ掛かったとか。
そんな流れで約3年間、編集部員として勤務していた、という昔話でございました。
では3年後なぜ辞めたかというと、
「編集に向いてなかった」
の一言につきます。
校正や写植、アンケートの集計などの雑務は得意だったのですが、企画があまりにも苦手で。
自分に自信がない&ネガティブなため、自分の考えたものを「おもしろいですよ!」と押すことができなかったんですよね。
今にして思えば、それでも続けるべきだったと思いますし、未練があるからこうやってコラムを書いてるところもあります。
さて、駆け足になりましたが、このシリーズはひとまずここで終了します。
次は何を書くのか書かないのか、まだ決めてませんが気が向いたら現れます。
それではまた!
3
さんの
共有する
このコラムへのコメント(2 件)
あそこは本当に楽しかったです(しみじみ)。
といってももう10年も前のことですし、結局漫画も1本しか担当してないんですけどね…(^_^;
読者欄とプレゼントコーナーは結構長くやってました。