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最後に熱く煌めいた「マイホ」
最後に熱く煌めいた「マイホ」
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ぐらんさん
Aタイプが中心ながらさまざまな機種を。 つまりはただのスロット好き - 投稿日:2019/10/14 02:44
SNSでの情報収集が当たり前になった昨今、明確な「マイホール」を持つ打ち手は昔に比べ減ったように思う。少しでも勝ちに拘るならば、いくつかのホールを日によって使い分け、多少遠方でも足を伸ばす。これが現代の王道スタンダードである事は多くの同士達の認めるところであるだろう。
かくいう私もそのひとりではあるが、そんな私にもスロット人生において特別な、今も心の隅に残る「マイホール」があるーーー
時は十数年遡る。5号機黎明期だ。
T県U市にある、120台程しかキャパのない小さなスロ専「B」。私はひとりしかいない友人のS田君とそのホールに通いつめていた。
特別設定状況が良い訳でも、厳選ラインナップで楽しませてもらっていた訳でもない。よくある小さな、4号機撤去に伴い少しずつ客の減りつつあるどこにでもあったホール。
では何故そこに通っていたのか?
答えはただ単に「近かったから」。それだけである。スラ◯ダンクの流◯君が高校を選んだ理由と同じだ。
ある日の事。
S田君とそのホールに行くと例のごとく客はまばら。しかし普段と違う景色として、私以外の常連客とたいへん仲の良い店員(私達の中の通称ガングロ)が非常ベルの正面に立ちつくしている。私とは会話をしてくれないのでS田君を通して聞いてみると、どうやら止めても止めても「ベル」が鳴るらしい。
そこで私はピンと来た。
「これは、示唆だ…」
一応補足しておくと、当時はまだイベント規制が無く、普通にお薦めコーナーに札とかぶっ刺さっていた時代ではあるのだが、ガングロが気をきかせて、話しかけてきた私(正確にはS田君だが)にだけわかる様に、当たり台を教えているに違いない、と考えたのである。
ありがとうな、という笑顔をガングロに贈りつつ店内を回ると、一応お薦め札が刺さっていたのは、
銀座の「星羅はお告げがお好き」
北電子の「アイムジャグラー」
の2機種。
当時の稼働の中心は間違いなくアイムジャグラーであり普通なら一択。
だが私は(正確にはS田君が)ガングロから「ベル」というキーワードを貰っている。ただ、2機種共にベル図柄はある。
しかし、決定的な違いはあった。
星羅には、「ベル」重複がある。
私はS田君には全てを秘密にしながら星羅へと着席。ここは鉄火場。勝負とは非情なものなのだよと打ち始めると、わずか投資2Kでまさに「ベル」重複からBIGボーナス。
やはり、か…
助かったよ、ガングロ。
BIGを消化しながら非常ベルの前に立つガングロに視線をやると何やらインカムで話している様子。
まさか、私に(正確にはS田君に)示唆をした事が上にバレたのか?すまない、ガングロ。
すると程なくガングロが私に近づいてくる。
一度も会話をしてくれた事のない彼が。
緊張を増した私の元に来ると、彼はこう言った。遂に初めての会話が生まれたのだーー
「あの、このビル火事みたいなんで、メダル流して退店してもらえませんか?」
もうすぐ当たるからイヤだと騒ぐジャグラーの客や、既に客が退店させられた為、BIG中で捨てられた台に座ろうとするS田君を横目で見ながら私は店を出た。外には野次馬が大勢いて、振り返りビルを見ると2階の窓から炎が溢れていたーーー
後日判明した事だが、1階がスロ専なのは当然知っていたが2階にフィリピンパブが入っていたそうで、そこから出火していた。なんのことはない、ガングロが繰り返し止めていた非常ベルは、正常に作動していたのである。あやうく大事件だよ?それ。
そうして翌日から店舗は閉鎖。
数ヶ月後、改修され同系列の低貸しパチ専となるが速攻で閉店し、令和元年の今現在は別系列のスロ専として営業中。だが、期間があいた事もあり私はやや足が遠のいてしまっている。
ただ、今でも「B」のあった店舗に稀に行くと思うのだ。
「あの頃はあの頃で、楽しかったなぁ」
そして、
「結局、あの星羅は設定あったのだろうか」
と。
8
ぐらんさんの
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このコラムへのコメント(6 件)
お読み頂きありがとうございました。
これが事実なんだから、現実は小説より奇なり、ですね…
お読み頂きありがとうございました。
場末の淀んだ空間でしたので、必然とそういう人が集まるのですねぇ←
お読み頂きありがとうございました。
パチ屋にエピソードは付き物ですが、火事にあうエピソードは今でも使えるネタでございます
面白かったです。