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自由の鐘を
自由の鐘を
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藤原ジェットさん
昭和の落とし物みたいな人です。 - 投稿日:2017/08/16 20:12
チャールズ・フェイと言う名に皆様聞き覚えがありますか?多分無い方がほとんどだと思われます。ご存知でしたらここいらでは中々の通ですよ。
どうも、パチ7昔話担当藤原です。
1899年、アメリカに置いて1つの機械が誕生します。その機械には3つのリールが備えられ、回転し、描かれた図柄が揃えばメダルが払い出される。
今や僕たちの日常に刺激や絶望、時には歓びを与えてくれる切っても切れない縁を持った機械。そのスロットマシーンの原型ですね。
世界初のスロットに与えられた名は、
「リバティ・ベル」
チャールズ・フェイとはその生みの親の名前で、本当にこんな素晴らしい物を世に送り出してくれてありがとうちょっとお前コッチ来いとんでもねぇもん作りやがって。
話を続けます。
定説では1945年、日本にスロットマシンが上陸し(沖縄のみ)1953~4年に警察庁が本土への設置を禁止している。終戦後、まだアメリカの統治下でのみ遊技可能だったわけだ。
本土への上陸は1964年。東京オリンピックが開催の年。それにちなみスロットマシンはオリンピアマシンとかオリンピアゲームマシンと呼ばれた訳です。実情は不明な箇所が多いようなんだけど、沖縄がやはりほとんどで、まだその頃本土ではあまり見かけなかったらしい。(あくまでらしい。です。)
その頃のマシンの姿はネットでも一部見ることが可能なので、是非とも興味のある方は検索していただきたい。イメージとしてはカジノマシンのルックスに近いです。
時はぐっと進んで1985年2月。新風俗営業法の誕生と共に、それまでただの「回胴式遊技機」の位置付けだったパチスロに全国統一基準と言うものが定められた。つまり1号機の誕生である。(それ以前は0号機と通称で呼称されることが多い)
それぞれの期間を調べると、
1986年~87年 1号機時代
1988年~90年 2号機時代
1990年~92年 3号機時代
そして1993年から14年間。激動とも、黄金とも、狂乱とも呼べる4号機の時代が訪れる。
僕が2007年からの5号機時代を含め、今もスロットマシンのレバーを叩き、ベットを続行する中で、やはり自由を感じたのはその14年の刹那だったと思う。僕だけじゃなく多くのスロッターが喜びの鐘を鳴らすことに快感と快楽を覚え、そして溺れた。
パチ7には、5号機からの人が多いのかな?
間もなくこの国で2回目のオリンピックが行われる。色々な声が聞こえるが僕個人としては一流のアスリートを是非とも生で見てみたいと思う。そしてその帰りに何号機かは知らないスロットが打てれば最高だなと願うばかりだ。
パチスロが文化足りえるかの解釈は、皆様にお任せするとして、せっかくなのでパチスロを文化と仮定して捉えた場合に、その歴史くらいは知ってても損じゃないだろうと思うのです。
5号機を支えてくれてる、皆には特に。
定期的にこの話は書くと思います。
また、お付き合い下さい。
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藤原ジェットさんの
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このコラムへのコメント(4 件)
そそ、メチャクチャ長いのよね。時代なんだよぉー。
ですね!ゆっくりまったりシリーズ化です!!
歴史をコラムにするのは難しいと断念しました(苦笑)
そうか…4号機って長かったのか…。
今4号機だけではなく、5号機の初期すら知らないって言われると
あら時代だなぁ(´・ω・`)
って感じるんですよ。
歴史は知っといて損はない。とは、思います。