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確率について、オカルティックに論じてみました
確率について、オカルティックに論じてみました
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ダストさん
- 投稿日:2019/12/01 16:29
パチンコでもパチスロでも、座って1回転目に当たったことってありますか?
私は、記憶にございません。
人間という生き物は、辛い記憶は脳が勝手に抹消しているからこそ生きていける、と聞いたことがありますが、1回転目に当たる以上に至福なことなどないと思うのです。それでも記憶にないということは、本当にないのでしょう。
私はかつて、年に300日はホールに通っていまして、それを15年ほど続けていました。ですから300分の1の台だとしても、一年に一回は真のお座り一発があってもいいと思うのです。15回は経験していていいはずの、この「リアルオスイチ」は一体どこに消えたのでしょうか。
あれ、そういえば俺、1回転目に当たったことねえぞ、と気づいたのはパチンコパチスロを始めて10年目くらいのことでしょうか。
その瞬間、私は強く自分のことを戒めました。
「油断してんじゃねえぞ、カスが」
私のように人一倍引き弱の星の下に生まれた人間に、「外れてもいいゲーム」などないのです。それこそ、1ゲーム目から殺りにいかなければならない。投資は少ないほどいいですからね。
それからというもの、オスイチでパチンコならチャッカーに玉が入る瞬間、パチスロならレバーを叩く瞬間、心の中で「オラァ!」と叫ぶようにしました。なんなら少し声に出ていたかもしれません。周りのお客様からしたら、おいおいとんだサイコパスが来たよ、と思ったことでしょう。それでも今日まで、憧れの「リアルオスイチ」を掴むことはできませんでした。
ここで確率というものについて、深く考えてみました。
例えば麻雀って、ルールと役を覚えて、筋、壁などを覚えればそこそこ戦い始めることができると思うのですが、強い人は本当に強い。鳥待ちになると高確率で上がることから高校の頃、「鳳凰」と呼ばれていた私ですが、社会に出ていろんな人と雀荘に行くうちに、自分など井の中の蛙にすぎぬ、と思い知らされました。
国士無双などをテンパるとハアハアし始め、隣の雀士にまで「アイツ、役満テンパってんな」と悟られしまう私レベルの人間は論外ですが、麻雀って基本的には確率ゲーじゃないですか?
強い人達は残りの牌の数を把握し、最も効率良く、点数が高く上がれるように、常に計算していると思うのですが、プロと呼ばれる方々はそんなことはスタート地点で既に全員が同じことをしているはずです。
にも関わらず、なぜプロ雀士にも階級が存在するのでしょうか。
オカルト的なことを思うと、脳裏にT先生のお姿がよぎるのですが、「流れ」というものを真剣に考えたことが、ギャンブルをやる人ならば誰しもあると思います。
同じ確率でも明らかにひけるときと、ひけないときがある。
麻雀然り、ジャグラーも然り。
ひけるときは、明らかに確率を超越してひける、ひけないときはいつまで経っても光らないGoGoランプに正拳突きをお見舞いしたくなるほどひけない。
この流れを支配することこそ、確率を支配して真の強者となれるはず、と思うのです。
あくまで私の場合ですが、GoGoランプを意識している時は、ボーナスがひけません。かといって投げやりにレバーを叩いているときもひけません。
あー、そろそろ光らねえかなー、と頭で考えていて、その思いが途絶えた瞬間、丁度他の事を考え始めるその刹那、光ることが多いです。
この状態を私は「無我の境地」と呼んでいます。しかしながらこの無我の境地を意識している状態はすでに無我の境地にあらず、もはや、悟りを開いた修行僧にしかこの境地に到達し、自由に操ることができないのではないか、と考えています。
しかしながら、そんな戯言はお構いなく光りまくる時があるからこそ、ジャグラーはやめられません。ああいうときのジャグラーって、ただ高設定を打っているからボーナスが連打するのでしょうか。
私はそうは思いません。
人気のないホールで勝つことこそ本当の勝利、と思っている私ですから、そんなホールに高設定など入るはずもありません。
あれは、明らかに「流れ」に乗っていたのでしょう。数回はジャグラーで五千枚クラスのメダルを叩き出すことに成功しました。
でも、連勝って難しいですよね。
財布に大金が入っていることでゆるゆるになっている心で適当に打って勝てるほど、現代のスロットルは甘くない。大勝した翌日は必ずといっていいほどそれに匹敵する大負けを経験してきました。
ある時、大勝した金を握り締めホールに向かう道すがら、はっ、とその苦い痛み達を思い出しました。
あれほど勝ち金をドブに捨ててきたじゃないか、2日連続スロットで流れに乗ることなど神に選ばれた人間にしか出来ない、俺じゃできない、と気付いたのです。
その時点で自分を褒めてあげたい。もう、そのお金は自分へのご褒美につかおう、と思ったのですが、私にとってのご褒美ってやっぱりギャンブルなんですね。
私は本当に、嗜む程度に競馬をするのですがその日は天皇賞秋がありました。
当時最強の牝馬と言われていたブエナビスタが出走するのです。
東京2000mという条件はまさにブエナビスタのためにある、単勝も2.8倍ついていたため後のジャパンカップよりぶち込むならまさにここだ!
今日はスロットじゃなく競馬だったんだ、完全に流れを掴んだな、と悟り、ホールに向かうところを急遽行き先をウインズに変更し、ブエナビスタの単勝を10万円買いました。そして、見事に外れました。
あの時複勝でも1.1倍以上ついていたので、とりあえず複勝を買って1万円でも手にしていればよかった、などとずっと後悔していたのですが、実はあの時ブエナビスタは国内で初めて複勝圏内を外したということを、この文章を書いていて思い出した辺り、やっぱり人って辛い記憶は脳が勝手に抹消してくれているんだなあ、と思いました。
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ダストさんの
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このコラムへのコメント(2 件)
読んで頂いてありがとうございました。
福本先生の漫画を読んでからギャンブルをすると登場人物になりきりすぎていつも大敗を喫してしまいます…
いや、沼書いてんじゃん?って話は別にして、リアルパチンコ漫画書いたら結構な信者を産み出すような気がするんすよ。
賭け事には何らかしらインビジブルな力が働いている、そう思っているプレイヤーが大半だと思うので。