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しくじり店長・第2話
しくじり店長・第2話
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元・店長カタギリさん
シルバ〇アファミリーみたいに小さなパチンコ店の責任者から一転、 雑巾がけがメインの業務となってしまった事務員へとグレードダウン。 そんな設定①のスランプグラフのような半生を、隔週水曜日に連載させて頂いております。 タイトルは「しくじり店長」。 パチ屋の店長が平社員へと降格していく逆サクセスストーリーを、 海物語シリーズの泡リーチを見つめるような気分でお読みください。 - 投稿日:2015/08/29 04:53
平成4年4月、東京・渋谷。
高校をどうにか卒業させてもらったパチンコ狂いの少年は、
コンピューター関係の専門学校で新たな人生をスタートさせるつもりでした。
ところが、
コンピューターと名の付くものはファミコンだけしか触ったことのないカタギリ少年は、
プログラミングどころか本体の電源スイッチを探すのにもアタフタ。
そんな私の隣の席には目にも止まらぬ速さでキーを入力している、
ハイパーオリンピックの名人みたいなお兄ちゃん。
そう、
スタート地点での人間スペックが違い過ぎるのです…。
それはまるでパチ屋の朝イチの抽選で白紙を引いてしまった時のような、
「ハイ、これ終了!!」
という気分を入学早々に味わった私は、
高校時代と同様にまたしても学業を疎かにしてしまうのでした。
そして、
大切な人生の選択から逃げ出したその先にあったものはもちろん、
コンピューターの学校よりも数億倍は楽しいパチンコ店。
今でこそ大手チェーン店が片手で数えられる程しか残っていない渋谷の街ですが、
平成初期のこの街の駅周辺には大小さまざまなパチ屋だらけ、
その数なんと20軒近く。
今日はどこへ行こうか、
何の台を打とうかと頭を悩ませる毎日が続いたのです。
デジパチならフィーバーキングや麻雀物語などの保留玉連チャン機、
ブラボーキングダムのような数珠連チャン機、
はたまた居酒屋みたいなノーマル機と、
その日の気分と懐具合でいろいろな勝負が楽しめたのですが、
中でも私をアツくさせてくれたのがこの年に京楽から出た新要件機、
「フルーツパラダイス2」と「宝島」です。
1回の大当り出玉が約2,300発。
7以外の図柄揃いならそこで終了、
出玉をジェットカウンターに流して再チャレンジとなるのですが、
777が揃えばなんと6連チャン確定、
出玉にして一撃約13,000発が約束されるというこのギャンブルマシンに、
私のハートと財布の中身はすっかり奪われてしまったのです。
見事にスリーセブンで大当りした客の頭上に刺さった、
「777挑戦中」と書かれたショッキングピンクのプレート。
そしてこの後は銀玉で埋め尽くされるであろう、
丸椅子の後ろに置かれた空っぽのドル箱が5つ。
そんな幸運を射止めたサラリーマンの後ろ姿を、
何度も恨めしく見つめながら退店しましたね…。
そしてパチスロもコンチネンタルシリーズをはじめとして、
グレハン、リノ、トライアンフ、ワイルドキャッツ、
ハンター、バニー、スーバニ、アラジンなどなど…
思い出深い台ばかりで書きだしたらキリがありませんが、
何と言ってもこの年の暮れには初の4号機である、
エレクトロコインジャパン(現:エレコ)の「チェリーバー」がホールデビューしたのです。
新時代のパチスロであった4号機はとにかく新しい体験ばかりでした。
胸を弾ませながら打ち始めて数プレイ、
横に3つ揃った黒い図柄と、
なぜか下皿へと返却されてしまった3枚のメダル…。
それが「リプレイ」だと理解するまでにさほど時間はかかりませんでしたが、
その後も何度もメダルは下皿へと戻ってきて、
とにかく慣れるのに苦労しましたね。
もちろんそれは私以外のお客さんたちも同様で、
メダルが入らないから店員を呼んでいる光景は良く見かけましたし、
隣でメダルが入らずに困っているオバちゃんに、
「あ、この黒いのが揃ってる時はメダル入らないから、
もう一回レバーを叩くんですよ~」
と教えてあげたりしていました。
そしてビッグボーナスのメダル獲得枚数が一定ではなくパンクの可能性もある、
という点にも戸惑いました。
ビッグボーナスでのメダル獲得枚数が今までの「純増方式」から、
毎回獲得枚数が異なる「期待値方式」に変化したことは、
パチスロの遊技人口を爆発的に増加させた大きな要因のひとつですが、
この時の私はボーナスがパンクしそうになるという恐怖、
それだけを妙に生々しく覚えています…。
ハード面ではビッグボーナス後に店員を呼んでキーリセットをかけてもらう必要がない、
というのも素晴らしい改善点だったと思います。
当時の店員さんは呼んでもなかなか来ませんでしたからね。
しかし私を狂わせたチェリーバー最大の魅力、
それは「ビッグボーナス成立ゲームでリールの中段に光が走る」という、
魅力的かつ衝撃的なボーナス告知があったことです。
今でこそ「ボーナス確定」の告知など当たり前のように存在していますが、
ボーナス告知機能もまた3号機以前のパチスロではお目にかかれなかったもの。
この告知機能、
チェリーバーでは成立ゲームの一瞬だけ光を発生させる(正確にはリール中段のバックライトが左⇒中⇒右の順に一瞬だけ消灯)という、
パチスロの現状から考えると不親切極まりない形で導入されていたのですが、
それが逆に「自分だけがフラグ成立に気付いている」という優越感を味わえたのです。
今で言うと京楽のエアバイブが発生した時のような一瞬の緊張感、
そして直後にこみ上げてくる感動。
それを味わいたいがために毎日のようにチェリーバーを打っていましたね…。
そしてこのチェリーバーに完全に心を奪われていた頃、
もはや全く通わなくなってしまっていた専門学校から、
「もうヤメるにせよ何にせよ、一度は学校に来て下さい」
という連絡がありました。
そんな訳で私はパチ屋に向かうのと全く違う重い重い足取りで学校に行きまして、
「学校ヤメてどうするのぉ? 東大にでも入るのぉ~??」
と人を小馬鹿にした口調で質問してきた担任のバーコード頭に向かって、
「いや、パチンコのプロになるんですよ」
とキッパリと答えて学校を後にしました。
ま、
数年後にパチンコ屋の店員になるのである意味ではプロになるのですが、
その話はいよいよ次回になります。
「専門学校生」という肩書きも今日でおしまい。
幾度となくうなだれて歩いた渋谷駅前の大きな歩道橋は、
その日もそれぞれの人生をそれぞれの目的地に向けて送り出していました。
私はその道標の見えない橋の途中で足を止めると、
サイフから将来に知らん顔をしている顔写真が貼られた学生証を取り出して、
ビリビリに破いて車道へと投げ捨てました。
桜舞う季節の淡く美しい花吹雪とは似ても似つかない、
風の中でふわりと力無く舞い上がったしょっぱい紙吹雪。
それがいったいどこへ流れていくのか、
流されていくのかなんてどうでも良かったのです。
まだ春の足音は聞こえて来なかった平成5年・1月。
ひとりぼっちの卒業式を終えた私の行き先はやっぱり、
自分に一番ふさわしい場所である渋谷駅前のチェリーバー設置店なのでした。
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元・店長カタギリさんの
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このコラムへのコメント(8 件)
ありがとうございます!
ネタは山ほどありますので、これからガンガン書きますよ~!!
次のコラムの更新も楽しみにしております。
カタギリさんのお話をもっといろいろ聞きたいです ヽ(*´∀`*)ノ
パチンコ遊技人口のピークが平成7年頃と言われているので、
正に業界最盛期の夜明け前という時期でしたね。
この頃はとにかくホールの数が多かったです。
遊技人口減少が著しい中で、わたぼうさんのような若い方がどういうきっかけでパチンコ・パチスロを始めたのか興味深いですね。
そこに業界再編の鍵がありそうですな!
ちなみに平成5年1月、ぼくは生後3ヶ月です…。
人生の岐路において、
面白そうな方や楽な方を選択してしまうと年齢を重ねてから苦労するという事実を私は今、
この身をもって体感しております。
…ま、
それでなんとかなるのもまた、
それなりの人生なのです。
(↑良い事を言おうとして、自分でも何を言いたいのか良くわからなくなったパターン)
ま、
人生いろいろッスよね。
(↑全てをまとめる魔法の言葉)
ド素人のピノコにも分かる気がします!いいなぁ、空の箱がスタンバイとか。
そして、人生の分岐点であえて、あえてマトモじゃない方向を自ら選択するというときの
自虐感とアドレナリン放出する感じ・・・ピノコも身に覚えが(●゚∀゚):;*.笑
なんか、言葉に出来ない(小田和◯)〜〜