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人生は大体パチンコ業界で教わった2
人生は大体パチンコ業界で教わった2
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ブラック微糖さん
人生は、大体パチンコ業界で教わった。 - 投稿日:2018/03/01 01:09
http://pachiseven.jp/columns/column_detail/13058
前回上記のコラムを書いた苦そうに見せてほんのり甘い男ブラック微糖
この場所を最近知った初老の男だ。
どうやらコメントを貰ったらしい。しかし返すのも如何な物か?あくまでこれは独り言なのだ。書きたいから書いている。それだけの駄文なのだから。
そもそも
「コメントありがとうございます。これからも仲良くしてください(はぁと)」
そんな自分の姿が想像できない。老兵はただ経験談を語るだけである。
しかしここのボスのコメントは大した物だと感じた。
新規投稿者にわざわざコメントを残して行く配慮
賛同しつつ、持ち上げつつ、更には小ディスもしっかり拾ってきやがる。
さすがポータルサイトなど時代遅れと言われる中で成功させた立役者は一味違うという訳か…それとも、もしかしたら業界人ならクライアントになるかもしれないなんて考えも有っての事だろうか?
いや、それは無いか。
こういった場の自称業界人ほど胡散臭い物は無い。
全員がそうだとは言わないが、ドロップアウトした業界人がアフィリ稼ぎの足掛かりにしたり知名度をあげ飯の種を作りたいが為に自己主張しているケースが殆どだ。
金と欲にまみれた業界に長居していた為、どうにも疑り深くなっていかん。
前回はどこまで書いただろうか?
そうそう、俺が新聞屋の寮を飛び出した話だ。
思えば少年時代からいつも腹を空かせていた。
「なんだ戦後初期の話か」
と思ったかもしれないがそんな事は無い。バブル真っ只中の高度成長期だ。周りを見ても金を持っていそうなガキしか見当たらない。そんな時代に小学校の卒業文集で
「大人になったらスグにでも働きに出て母親に楽をさせてあげたい」
などと書く親孝行な優しい少年だった。
そんな少年も16歳の時に訳有って住む所も何もかも失い変わってしまった。
自分一人の力で衣食住を確保しなけらばならなかった。帰る場所も頼れる人間も居なかった。そんな中で転がり込んだのが新聞屋だった訳だ。
昔脛に傷のある人間が働く先と言ってスグ思いつく場所は3つ
①新聞屋
②パチンコ屋
③雀荘
あくまで主観だ。
その他にも性風俗も多いが、上記の3つがやはり多かったと思う。
当時その3つの職場には必ず訳アリの人間が居た。前科者や不法滞在者から駆け落ち夫婦、そんな人間の受け皿になっていたのが3つの業界だった。
新聞屋は16歳から住み込みが有るからありがたかったが、仕事はアホかと思う程厳しかった。
夜中から朝刊の準備、そのまま明るくなる前に朝刊配達、そして終わったら新聞勧誘の営業、集金、そして夕刊を配達する。
寝る時間すらもロクに無かった。
ヨーロッパ
この言葉でピンと来た人間は底辺を見て来ているに違いない。
当時新聞の拡張員が新聞の新規契約をとって来ると
3ヶ月4,000円 6ヶ月6,000円 12ヶ月8,000円 の歩合が貰えたのである。それを略してヨーロッパと呼ぶ新聞屋の用語だ。
そして営業成績が悪いとチンピラみたいな所長に追い込みをくらう。もちろん暴力なんて当たり前の世界だった。
そこでスレにスレまくった男がパチンコ屋に転職する事になるのだが、今回はここで寝ようと思う。
よく考えたら前回から全く話が進んでいないが、誰も見ていないような場所だから別にいいだろう。
駄文失礼
5
ブラック微糖さんの
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このコラムへのコメント(1 件)
浪人時代住み込みで働いていた時の単語です!
自分配達員してた時の新聞屋さんもヤクザでしたw