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ある日の昔話1
ある日の昔話1
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まっつんさん
パチスロ大好き、パチンコはほどほど。 遊べるボーナス主体かRT機がメイン。 ハナビがどこででも打てるとか、素晴らしい。 しかし収支の中心はパチとジャグラー パチ、スロだけでないtwitter @mattun_p7 - 投稿日:2016/07/06 01:13
書き終えてから見ると、もう昔なんだなとしみじみ…
自分のパチンコ、パチスロに関する過去の話です。
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自分が本格的にパチスロを打ち始めた時は、
2000年という丁度節目な時期。
パチスロは1BIG400枚程度の比較的マイルドな台から、1BIG500~600枚以上の大量獲得が当たり前になりつつあり、
パチンコは設定がまだあったり、
確変を引けば2000発級の当たりが二回保証と、今で考えると大盤振る舞いな状況。
親の影響でパチスロの魅力に取り憑かれた自分は、暇さえあれば店に通っていました。
打ち始め初期のメイン遊戯機種は大花火、アステカ、ニューパルサー、ハイパーラッシュ。
ちなみにジャグラーを打ち始めるのは、もっと先の話になります(笑
素人らしく、目押しは適当、リーチ目は3連図柄、チェリー付きボーナス対角線、下段チェリー7と確定的な出目狙い、告知待ちで打っていたと思います(汗
この頃はコツコツ増やすようなパチスロの島のお客さんは少な目で、一撃必殺で分かりやすいパチンコの方が盛況。
ただ自分は「自分で当たりを射止めて揃える」という流れが好きだったため、パチンコの出玉に魅力は感じながらも積極的には打たず、パチスロばかりでした。
今なら迷わずパチンコ、打つでしょうね(笑
こうしてあの頃の自分は、
座り心地の悪い皮椅子に座り、
1000円しか入らないサンドにお金を入れ、
2000枚は優に入るドル箱にコインを入れながら、
これから長くパチスロの世界にハマっていくのです。
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振り返ると、ほんと色々変わりましたね~
たしか使い終えたパッキーカードとか無駄に集めてたような(笑
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まっつんさんの
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このコラムへのコメント(10 件)
セピア色ですよ、もう。
旧台に囲まれたゲーセンスロットで始まる、掴み合いの乱闘…最高にノスタルジー(笑
自分、帰る前に両替して明日に備えてました(笑
今はなんとか慣れたかなぁ~、という感じですが…
出してる実感として重量感も欲しいですね…詰めても軽い(・_・)
ついに大花火の散り際には
「もうパチスロは打てなくなるかもしれない」
と思っていましたが、今でも打てているのは幸せです(*´-`)
ただし、取り戻しが難しい悲しみも(゜゜)
僕たちは繋がっていたんですね(気持ち悪めに(笑))
幅広めに触っていたつもりでも、触れたことが無い台がまだまだあるんですよね~( ´-`)
パチンコはもうちょっと打っておけば良かったです(笑)
同期生でゲーセンスロットとか行ったら…
うん、間違いない。
台の取り合いだわ(笑)
混むから予めサイフに二万円ぐらい束でいつも入れていました。
ドル箱は昔の大きさに戻して欲しいです!詰めて700枚のドル箱はなぁ(´・ω・`)
俺は第2次のパチンコ並びスロットの
封印の時でした
年代を感じる
どこかでシンパシーを感じているなと思ったんです。
(気持ち悪いとか言わない)
俺も2000年がパチスロデビューなんです。
大花ばっかりバカみたいに打ってましたけど(笑)
本当に今となっては色々台を触っておけばよかったと後悔(笑)
ジャグラーも本格的に打つようになったのはハイパージャグラーから(笑)
同時期!…というのもおこがましいですが、同じ頃にライターを開始されていたんですね!
バブル…たしかに当時、誌面のライターの方も現役プロが多かったイメージが。
パチスロ熱が最高潮まで盛り上がっていく様を、直に体験するには最大のタイミングでしたね(*´-`)
パチンコの確変も5回リミットになっていたり、東京ではパチスロがかなり上がっていってました。スロ専も増加。ほか大手誌の月2冊化。パチスロ必勝本(1999年)以降、多くの雑誌が創刊されました。
この当時が“ライターバブル”だったように思えます(笑)。