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メーカー営業にあこがれて
メーカー営業にあこがれて
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枠下蒼7さん
オリンピア、ネット、エレクトロコインジャパンで営業担当。遊技機販売業者では裏モノの製造、販売も経験。ホールスタッフ、パチス◯マニアックスでのブロガーなど多方面から業界に関わってきました。 Twitter:@wakushita_shion ヤンデレ好き - 投稿日:2024/11/10 02:15
ネタ切れになるとやって来る、過去ネタを深掘りするコーナーです。
クオカード下さい(笑)
一年以上前、こんな記事を書きました。
https://pachiseven.jp/columns/column_detail/20400#contents
そして見事に放置してました(汗)
自由帳に対してのモチベが設定Lグラフのように右下がり直滑降だったのでね。
気を取り直して続きです。
自分に都合のいい営業マンが誕生するところまで書きました。
まず、どの職種においても営業マンに求められるものは数字です。どんなに客先に好かれていても契約、売上にならなければ会社としての評価はゼロに等しいです。上に『見込み客です』『商談中です』と報告したところで、いつまても通るはずありません。
そのうち『あのお客はどうなった?』『まだ契約できないのか?』と追及が始まります。『他社製品と競合している』なら、まだ許されます。『価格面で難航している』はご法度でした。
何故なら、当時のオリンピアはメーカー直販と協力販売会社との2本立てでした。ホールとしては昔からの付き合いで販社と取引をしたい。そこへ新規で直販が売り込みに来ると、直販のメリットをようきされます。
メリットは大きく二つあり、一つは納期を早めることが出来る。新台は早く導入したほうが有利なため大きなアドバンテージです。もう一つは価格を安く出来る。仕入れ値がゼロですから当然です。
しかし、これをやってしまうと販社から猛烈なバッシングは必至で、最終手段に等しいです。そして、ここまでやって契約に繋がらなければ、価格だけ引き出された無能な営業マンとなってしまいます。
さらに前回書いたようにメーカー営業の弱味があります。どんなに頑張っても自社製品しか取り扱えないこと。ちなみに、自分が在籍していた期間に販売された機種は・・・
『ファイナルバニー』
『オリンピアンプラザ』
『ナースファンタジー』
『ダイアナストリート』
無理ゲーすぎるわ!
コブラや、その前のジョーカーのほうが遙かにマシです。ファイナルバニーこそ、スーパーバニーガールの流れで多少は売れましたが、あくまでもこの中ではという位置付け。
ナースファンタジーを売ってこいと言われた営業マンの絶望、わかってくれますか?
こうして、営業所全体がお通夜のような毎日でした。出勤し嘘で塗り固めたミーティング。サボりの外回り。帰ってきて嘘の営業日報と報告。『なんで、こんな機械しかないのか』と本当に辛かった。
所長は本社からの出向でしたが、営業所近くのマンション住まいなので遅くまで営業所に残ってます。21時頃になって帰ります。それまで営業マンは帰りたくても帰れません。自分も電車で家路につくのが23時頃、そして翌朝9時に出社。ストレスだけ増えていきます。
それでも会社としては営業所強化のために新人を増やします。在籍していた期間で5人ぐらい増えましたかね。入社後に行われる新人研修。さらに、自分の時にも行われた先輩営業マンとの同行営業。もちろん、行きやすい所にしか連れていきません。嫌だったのは昼飯ですね。こういう時は先輩がご馳走するのが普通じゃないですか、それが嫌でしたね。なので、適当に食べてきて1時間後に戻って来てと。
あとは移動中の車内では『なんで入ったの? 大変だよ』と愚痴のオンパレード。仕舞には競輪に行ったこともありましたね。
こうして新人を増やしたのですが、問題になってきたのが営業車です。元々、一人1台、貸与されていたのですが新人分が足りない。そこで、行ったのがアポが取れたら使ってもいいとね。それ以外は事務所でアポ取りの電話か、アポなし営業は電車など公共交通機関を使えと。
それ以外にも新人は5件以上で名刺を貰って来るまで帰ってくるな。面談した人が名刺を持ってない、切らしているなら自分の名刺にサインを貰え。以前に貰った相手でも事情を話して再度、貰ってこいと。21時まで回って達成出来なかったら帰社してもよい。
もうパワハラでしょ?
こんな営業させられたら、本人のためにもならないし、ホールからの信用も失います。
後年、聞いた話では営業マンにGPS付きの携帯を貸与し、一定時間動きがないとサボりと判断され叱責されたそうな。特に営業先ではないパチンコ店の駐車場やマンガ喫茶など監視されていたようです。
その後、自分も『売れない機械を出しているメーカーに未来はない』と転職することにしたんですけどね。もちろん営業職への無知な部分もありましたし、アプローチの仕方も改善すべきでした。
それでも『メーカーなら売れる』という意識は良くなかったです。確かに数字は大事ですが、機械より人を買ってもらうべきだったのかなと。
そうして一年ほどでオリンピアに別れを告げエレクトロコインジャパンの立ち上げに向かうのでした。しかし、辞めた後にビーキッズクラブFで復活するのたから、未来はわからないものです。それは、また別の機会に。
あ、オリンピアは給料だけは良かったですよ。基本給20万、営業手当5万、その他諸々で支給額は30万ぐらい、手取り23万ぐらいだったかな? そこに売上に応じた歩合給が入るので。
しかし罠もありましてね、ノルマ未達で営業手当半額、さらに未達で営業手当ゼロ。飴と鞭の鞭が強かったです。
今から四半世紀も前のことなので記憶違いや脚色もあると思いますが、趣味は仕事にならないケースもあるのだよということで。
3
枠下蒼7さんの
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このコラムへのコメント(6 件)
自分がいた時期はコブラで持ち上がって急転落する最悪なタイミングでした。
新人研修時に思い描いていたビジョンがオリンピアンプラザでヒビが入り、ナースファンタジーで崩壊しました。
そのあたりがネックなんですよね。
楽して売りたい反面、信頼される人間にもなりたい。
そうなるには嘘をついて産廃を売りつけることはしたくない、しかし数字は必要というジレンマ。
スーバニからしばらくのきつい時期の頃だね
このあとのスペースバニーは打ったなあ
懐かしい
営業は売れば勝ちって訳でも無いし、難しいけど楽しいよ(除く数字)
獣王や北斗の頃のサミーは営業かけなくても、勝手に注文が入ってきたそうです。
電話も断りばかりだったそうな。
エレクトロコインジャパンはアルゼ系で楽そうに思えるけど、アルゼから潰された案件も多数あって、身内に裏切られる展開でした。
メーカーさんで一番営業が楽だったのはいつ頃のどのメーカーなんだろうか。