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どこにも書いてない頭文字D 2nd解説(笑)

★昔のパチンコパチスロの話 | コラム

どこにも書いてない頭文字D 2nd解説(笑)

プロフィール画像
ししょーさん
投稿日:2024/10/08 23:20

久しぶりに原作を知ってる台だったりw

登場人物達が乗ってる車が、ししょー青年の青春を駆け抜けた車ばかりなんだよね
もう外観見ただけで、内装からエンジン音までが蘇る

と言うことで登場してる車の発売当時を振り返ってみようかと
頭文字D 2ndを初打ちする時に、知っていると勝ちにつながる

、、、、んな訳もない情報ですw


まずは主人公拓海が操るAE86トレノ、発売は1983年、昭和58年

{Photo01}


ししょー青年が髪の毛フサフサ、高校3年生18歳の時に華々しく登場!
ちょうど免許が取れる年齢になることもあり、車雑誌を貪るように読み漁ってたところに、衝撃的なデビューだった

それまでの前モデルのTE71レビン、トレノ、特にトレノはそれまではマイナーな位置付けから、いきなりリトラクタブルヘッドライトになり、スタイリッシュになって、すげー!かっけー!欲しー!これ乗ったら女の子にモテるぞー!
よしこれを買おうと夢見てた訳です

1.6リッターの4バルブDOHC
当時はツインカムって表現が格好良かった
そんなにパワーある訳でも無いけど気持ち良く回る4AGエンジンに、ちょいと足回り固めて、ブレーキ変えてくらいでもめちゃ楽しく走れる車でした
ほんと素直な車で運転が楽しいって思わせてくれる、樹の「車はFRだよな」と言われ、うんうんと頷いてしまうジイさんを許してね

そんな86が新車で発売された年、パチスロは黎明期0号機の頃

ししょー青年のパチスロ0号機初打ちの時はビクビクしながら薄暗い店内へ
当時はパチ屋と併設では無く、今で言うスロ専のみ
情報誌すら発売前で、パチスロと言うものの打ち方どころかメダルの買い方も分からず
台に座ってお金を投入しようとウロウロしたら隣の怖そうなおっちゃんからカウンターを指さされる
カウンターのおばちゃんに1000円札を渡すと紙に包まれた棒状の筒を受け取って、ようやくスタートライン
ついでに1枚ずつ入れて打ってたら、再びおっちゃんから3枚ずつ入れて打つんだと言われ、はいと答え背筋を伸ばして打ったのを40年経っても思い出す
当時のパチ屋は怖いところだったんだよ

ししょー青年は当時は羽根ものゼロタイガーと格闘中
そこに現れた三共ニューフィーバー
これが誰もが仕組みを理解すれば勝てる攻略法で、そんな攻略法が長い期間使えてがっぽがっぽと稼げちゃうなんて時代でした
あれ?これもしかして86買えるんじゃね?
なんてことを思ってたけど、あれれ撤去されちゃった、あー残念
まあスロは遊びで軸足はパチンコの時代でした

せっかくなので年代別に行きますか

続いては高橋涼介のFC
2代目のRX-7

{Photo02}


これが1985年昭和60年
ロータリーエンジン特有の音を響かせて、どこまでも回る回る、ひたすら回るエンジン
あの高回転の伸びは凄かった
めちゃ楽しかったけど、鬼のような燃費も凄かった
速さと引き換えにどんだけガソリン食うんだと言う車でした

そんな昭和60年は、ししょー青年の成人式!
世の中はちょうど1号機が誕生
今のサイズになり、パチンコ島に設置出来るようになりパチンコ屋さんに併設され、今のスタイルのお店が一気に増えた年でした
もう新装開店だらけw
やたらとスロットル入荷なんて新聞チラシが入ってた

当時の新装は命懸け
ひたすら並び、ドアオープンと同時になだれ込む、押すどころか、前の人間を転ばせたり、横からライター投げて下皿に入れれば勝ち
まあ熱い時代でした 

それでも一定の秩序が守られていたのはコワモテ店員さんが睨み効かせて、あまりに酷いと、兄ちゃんいい加減にしろよとドスがきいた声で場が凍る

当時はゴトが普通にある時代で、自分が見てた目の前で、賞球口にいきなりセル板をがつって入れるとチューリップが開きっぱなしとかね

それが次の瞬間、2人の店員がやってきたら左右からいきなり、そいつを殴る蹴る
ボコボコにされて、そのまま事務所へ連行
そんな日常があると、そりゃ皆んな、それなりに秩序守るよね
一番偉いのは店員だったから

さてさて1号機、トロピカーナ、ファイアーバードあたりも有ったけど、最初はブロンコ、アーリーバードで小役周期狙いでお小遣い稼ぐ程度

自分のメインはパチンコ、1300発機と呼ばれる、こちらも攻略し放題の台が現れた
プラボー10、パニック、キャプテンルーキーあたりがまさにアルバイト

これらの台のおかげで、免許取得費用捻出
さて86買うぞと思ったけど、なんせ1回当たっても4000円
毎日打ちに行けば確実に2-3万は勝てるけど、一応大学生、そこまで終日、朝から晩まで回せず、流石に新車までは手が届かない
それでも中古でTE71レビン買って、アルミ履いて、足回り固めて、マフラー変えてブイブイ言わせてた夏、、、

粋がって箱根のお山で潰したのは20歳の誕生日手前のことだった
若かったなあ、、、そんな19歳のしょっぱい夏でした

さてさて続いては池谷先輩S13シルビア

{Photo06}


これが1988年、まだギリ昭和、昭和63年でした
世の中バブルと言われてた頃、シーマ現象なんて流行語が出来たりね

前モデルのS12シルビアが無骨な硬派系から一気にデートカーの雰囲気へ
当時はプレリュードがデートカーとして君臨してた時代
あんな軟派なFF車なんて買うかよ、やっぱ走りも楽しみたいからFRだろ、でもねもう少し女の子受けする車が良いな
って層に激刺さりした車だったなあ

まだFF車が、まだまともに走れない頃で、アクセル踏むと、フロント浮き上がってすぐにホイルスピン、コーナー途中でアクセル離すと内側に刺さってケツが流れる
楽しく走れるレベルじゃなかったんだよね

この年はパチスロは2号機の登場
なんとクレジットが付いたんだぜ!

これね、1号機までは毎回手入れで3枚入れてレバー叩いて、小役が当たると払い出し

あっ、ちなみにまだリプレイは無いからね

当時はMAX BET機能が無いから、BETボタンをペシペシペシペシ
何度も何度もペシペシペシペシ

これねえ、ボタンの接触が悪い台も多々あって、未だにペシペシペシペシしちゃうジイさん見ても許してあげて
ああ、昔は大変だったなと思って微笑んであげてください

ついでにストップボタンも効かなかったり、押したボタンが凹んだままで次のボタンが押せなかったり、レバーの玉が取れて転がって行っちゃったり
メダルは詰まる、逆にいくら投入してもチャリンと戻る
当時は遊ぶのも結構大変だったんだよ

さてさて続けては中里のR32スカイライン

{Photo03}


1989年ついに平成になり平成元年登場

ししょー青年が働き始めた年
最初の冬のボーナスを全額ぶち込んで買っちゃったR32!
ただ、どう考えてもGT-Rは手が届かず、GTS-T Type Mという2Lターボ
それでも新人がいきなりR32買ったぞ、今年の新人に馬鹿モンがいるぞ、と当時言われてたりね

その頃は2号機と1.5号機が混在していた頃、1.5号機トロピカーナ、ファイアーバードあたりは、中武さんみたいな人が1ビッグで下皿溢れるくらいの打ち方をしてて、自分は、、、うーんリール見えないぞ撤退w
そりゃ7くらいは押せるけど、たくさんあるプラムでスイカの下にあるプラムを下段ビタとか、いやー中武さん神

リール見えない人には知識介入系だとニューペガサスをひたすら
あのノクターンを聞くだけで汁
まあハマり台を狙ってるだけでそれなりに負けない台でした
1.5号機まで認められていた吸い込み方式って台で、規定枚数入れるとボナって台
単純にハマり台は美味しい
まあこの辺りはググってください

また2号機ではアラジンの集中にどっぷり
今につながるアラジンチャンスが大ヒット
あの単チェリーが熱かった
シングルボーナスがひたすら揃いまくる集中に入ったんじゃね?と汁出まくり
とは言え一撃2000枚も出たら大喜びみたいな頃、間違って5000枚なんてこともあったけど、万枚なんて見たことなかったもんな

と言うことでこの頃はパチンコが少しパワーダウンしてて、パチスロ人気が一気に盛り上がり始めた時代でした

いよいよ1990年代、宿敵高橋啓介のFDが1991年平成3年登場

{Photo04}


FCをさらに磨き込んだ、もうカミソリみたいな車
いやーほんと凄い車でした

ただ、自分は個人的にはロータリーのエンブレが効かない感覚があまり好きになれず、レシプロでエンジン回転合わせてシフトダウンして、そこからの立ち上がりでレッドゾーンまで回すのが大好きだったなあ

さてスロはここで、2号機が射倖性が高いとの話しになり暗黒の3号機時代へ

特に集中機に規制が入り、パンク確率が激上がり、即パンクばかりで、全く出ないアラジンと名前がついてるだけのアラジンⅡ

そうなると、あれれ?って大変身!w
おしとやかな茶道部の女の子が、翌日にはジュリアナで踊り狂ってるような変身振り

当時の大ヒットした変身が、打ち続けても一生アラチャンに入らないボナ連バージョン
いやーこれ実はめちゃ勝てたんですよ
ボーナスフラグが立つと、リールがズル滑り
ビッグなら即揃えるけど、バケなら、それから数ゲーム、ひたすらビッグ揃えと念じながら押す
と、何とビッグボーナスが揃っちゃう
ビッグ変換バージョンって言ってたけど、これを知ってるだけで機械割が激増

この後もひたすら好きで打っていた変身バージョン
まともに勝てたのは多分この台だけかもしれない

ただ、この時間は短く、一斉に基板封入されて終わっていきました

最後は庄司のEG6シビック

{Photo05}


登場は1992年、平成4年
VTEC搭載して高回転域が超楽しい車だった
ただ個人的にはFFっぽさもだいぶ減ったとは言え、相変わらずアクセルオフでのタックインは好きになれなかったな

さてさてスロはこれから長い時代を迎える4号機登場の年

初はチェリーバー
エレクトロコインジャパン、イギリスからの黒船襲来だなんて当時言ってました
格好良い名前の会社と言っても中身はユニバ、現エレコだね

まあ、新しいものづくしと言うか、まずリプレイって何よって頃
ビッグフラグ引くと中段にフラッシュ走ったり、ビッグ中に逆押しして、左リールでリプレイ外しって何よ?
なんて新しい要素有りまくりの時代
ついて行くのが大変だぁなんて思ってたけど、当初は物珍しさで打ってはみたものの、気づけばスーパープラネット、スーパーバニーガールあたりに戻ってたね

まあついでに今じゃ考えられないけど、当時は回転数のカウンターがない頃、回転数を把握するために、最初はメダルを台脇に積んで数えてた
それがいつしか、万歩計をレバーに取り付け、回数数を数えてたりした時代でした

今見たらこいつ何やってるの?だけど、当時はこれが最先端だったからね

ちなみにパチンコは保留玉連チャン機が大ヒットしてる頃で、自分の主軸はそっちの方だったかな

さてさて、ざっと主要な車が登場した時期と、当時のスロ状況はこんな感じだったレポートでした
この時代に登場した車たちはほんと輝いてたんだよね

今の時代、車買うこと、特に都会生活してると、いらないなってなるけど、当時は女の子誘うには車は必須アイテム
ドライブ行くのが最低限のマナーなんて時代だった
誰もが車を持ってるのが当たり前、たまに持ってないやつって、今だったらガラケーですみたいな位置付けレベルだったもんな

主人公達は中古でこれらの車を買ってるので、当然この時代よりは新しい頃だけど、こんな発売当時のことを思って打つと少しは楽しく打てるかと 

以上、全く役に立たない情報でした

まあ、ジイさんが昔のことを頑張って思い出すことでボケ防止につながると思って許してね

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ししょーさんの

※本記事はユーザー投稿コンテンツです。

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