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ジャグラーを語ってみる
ジャグラーを語ってみる
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枠下蒼7さん
オリンピア、ネット、エレクトロコインジャパンで営業担当。遊技機販売業者では裏モノの製造、販売も経験。ホールスタッフ、パチス◯マニアックスでのブロガーなど多方面から業界に関わってきました。 Twitter:@wakushita_shion ヤンデレ好き - 投稿日:2023/10/19 20:47
勘の鋭い方は、お気付きだと思うが「ネタ切れ」なのである。連戦連敗、昨今のチュニドラのように見せ場もなく増え続けるホールへの借金。奇跡的に新ハナビの設定2を掴んでも、曇らせて撃沈する日々。ファミスタは試合もさせてもらえず、バケ地獄。初打ちしたナイツは、リールが下すぎて気持ち悪くなりヤメ。
そんなわけで「ジャグラーが人気になった分岐点」を語ってみることにしよう(散々、語り尽くされた気もするけどね)
まず、ジャグラー登場前の北電子は何を出していたのか?
スーパーコップ
こちらは1990年登場の3-1号機。生まれていない読者もいることでしょう。3号機までは、各社2機種までしか発売できなかった。この機種は筐体をフルモデルチェンジして登場したのだが『恐ろしいほど、売れなかった』のである(推測含む)
実際、自分も雑誌で見た程度で、動いてるところなんて見たことない。もしかすると、現存していないのでは?
スペックはオーソドックスなBR比率が1:1のAタイプ。リーチ目はボーナス絵柄の単独テンパイ。ただし、連続で続いかないと信頼度は低いらしい。なお、操作性は悪かったようです。
いわゆる、ドマイナー機なのですが、当時の雑誌によると「BIGボーナスがパンクする」台があったようです。3号機までは純増方式で、一定の払い出しで強制的にボーナスが終了、つまりパンクすることはなかったのです。
さらに、このパンク台ですがパンクを切っ掛けにBIGの大連チャン。果たして偶然なのか、ワルイコだったのか永遠の謎。
続いてリリースされたのがこちら。
ワルイコのみんな、大好きなアポロン。1991年暮れ?あたりが導入された3-2号機。スーパーコップでフルモデルチェンジした筐体を見切り、また新筐体で登場。
オーソドックスなAタイプで、リーチ目は7とBARの一直線、チェリー頭で中右ボーナスの一直線。ジャグラーの原型ともいえる並びです。
アポロンもマイナー機で終わるのかと思った矢先、某大型チェーン店にバイオハザードの如く増殖開始。この頃のお約束で「新台から時間が経過して導入される古い機種、マイナー機種はワルイコになる」法則がありました。
アポロンもワルイコにされていて、BIG5連チャンバージョンだったのです。リールの裏に不正基板を取り付ける大胆な手口でした。中身は貯金で一定数のBIGが貯まると放出開始、基本的に5個貯まって放出だったようです。
つまり、ハマり台狙いが有効なのですが、当時は今みたいに回転数や履歴を表示するような親切なデータカウンターは皆無でした。数時間、ハマりを観察する「ベガ立ち」やホッパーを上から覗き込んで「コインの貯まり具合」をチェックするなどしていたようです。
徐々に貯金バージョンと知れ渡るとライバルも増えて、外国人とのトラブルで刃傷沙汰になったとかいう話も。
当時、オリンピアで勤務していたのですが、営業で回っていた地域でアポロンは一店舗確認しただけでした。しかもドノーマルでした。5連チャンバージョンは地域的なものだったんですかね?
※裏モノとメーカーは関係ありません
時は流れ、市場に4号機が続々と登場する中、北電子は全メーカーで最後に登場することとなりました。
クリエイター7、1994/8登場です。第一号のチェリーバーが1992/12ですから、一年半以上も後の事です。4号機から、ボーナスフラグ成立をランプで告知することが認められました。クリエイターから既にリールの左下部分にランプが搭載されています。
続いて登場したのがサーカス3/DXの2機種。絵柄とスペックが若干違いますが制御等は同じです。この機種もリールの左下に告知ランプがあります。おや、怪しいピエロが描かれてますね、こいつが光ります。
しかし、当時はモーニングサービスを行っているホールが多く、モーニングと告知ランプの相性は最悪でした。そこで、ホールは告知ランプの豆電球を抜いて光らないようにしてました。不正改造?何のことでしょうか。
サーカスから8か月後の1996/12、ヤツが登場します。
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失礼、かみまみた。いえ、間違えました。
ジャグラー(初代)
今年で登場から27年、生まれた子供は結婚して孫がいるかもしれませんよ?という年月。ところが、当時の北電子はホールの入れ替え優先順位も低く、ユニバーサル系、山佐、サミー、大東音響(笑)以外の「その他大勢」にすぎなかったのです。
当時のホールの主力機種はニューパルサー、ダイバーズ、クランキーコンドル、ウルトラセブンなど「大量リーチ目」「技術介入」が主流でした。告知ランプを切られたジャグラーはホールにとっては「無くても困らない」機種の位置付けだったのです。今では「無ければ困る」機種の代表ですからね。
こうして、単なる大勢のパチスロの一つでしかなかったジャグラーに大きな転機が巡ってきたのでした。
長くなったので、後半につづく♪
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枠下蒼7さんの
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このコラムへのコメント(10 件)
ニューキャスター、ガリバーの頃はまだ高校入学した頃ですので(汗)
アポロンまでは、北電子の存在すら知らなかったですね。
パチンコだと銀座、竹屋ぐらいの位置付けかな。
家の前にあったのもプラネットVで、2号機すっ飛ばしてリノになりました。
ニューペガと並んで良く打ってたなあ
自分は北電子と言えばニューキャスターのイメージ。あの7図柄じゃ無いダイヤ?見づらかったな
当時はニューペガが大人気でキャスターはめちゃ不人気。同じ吸い込みタイプだったので、どれくらい飲まれてるかを見ながら狙ってたね
アポロン5連チャンも打ったなあ。これも貯金だったのでハマり台をいただくみたいな
ああ懐かしいね。記憶が蘇るよ。髪の毛が生えてきそうだ
自分は3-2号機のマジカルベンハー(大東音響)が好きでした。
しかも、ドノーマルが。
そのため、ランプが切られていても、ボーナス図柄一直線だけで楽しんでました。
ピエロコーナー、50歳以外は立ち入り禁止に出来ないものかな。
今では5000円でアポロンは買えないでしょうね。
パチスロはディープであり、パチンコ(特に羽根物)が10分ぐらいで千円失うのに、パチスロは3分程度。
しかもリーチ目、目押し、リセット、何のこと?ですよね。
高校時代に友達から5千円で売ってもらった実機でした。
当時、パチスロはパチ屋の中でもディープな空間。
「極道の遊び」という印象でした。(*_*;)
目押しが出来ないとつまみ出されるかもしれない…と思い、
練習しましたね~。
ネタ切れの時に回顧録は、レインボー保留です(笑)
確かに、モーニング禁止になってから告知台が増えましたよね。
しかし、生き残れたのはピエロとハナハナだったのですよ。