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新宿グリンピースの思い出
新宿グリンピースの思い出
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ミサプラハズレさん
パチ、スロ両刀です。 - 投稿日:2022/01/26 07:48
新宿東南口の階段を降りたら目に飛び込んでくる、僕にとってのいつもの景色。
変則的な四差路の角地に独特な外見、入り口にはウサギのキャラクターが描かれ、大人のリゾート、パチスロのデパートのキャッチコピー。
パチスログリンピース
かつて新宿だけでも3店舗、池袋、吉祥寺、上野、蒲田と展開し、マニアックで個性的な機種構成、パチスロの聖地として知られたグリンピース。
その新宿本店が今月一杯で姿を消す。
寂しく思うと同時に、何時からか足が向かなくなってしまった事に罪の意識を感じてみたり。
今の若い方は御存じないだろうが、グリンピースと云えば爆裂イベントの代名詞的な時代も在ったのだ。
カレンダーは、ほぼ毎日イベントで埋め尽くされ、連日朝から長蛇の列が出来ていた。
新宿本店はその立地から、朝から出勤するサラリーマン諸氏に白い目で見られながら並ぶと云う背徳感に、少し気恥ずかしい思いをしたのを思い出す。
4号機からパチスロを覚えた私は、雑誌を買うようになり、グリンピースの存在を知り、いつしか通う様になった。
当時のメイン機種はソレックスばっかり打っていた。
今でも覚えている。
2階の入って壁の奥側、3台シマが僕の指定席。
いつも先頭に並んでる常連組に、6時並びで2階に行くのはバカだと散々云われたっけ。
イベントカレンダーを見て、モーニング投入率と高設定が見込めるイベントを選び、ここぞと云う日に始発で並ぶ。
僕にとって、パチスロと云う娯楽を嗜む上での最上級の日が、グリンピースに並ぶ日だった。
今と違って並び順での入場、地下はともかく地上5階から連なるフロア構成で、狭い狭い階段にフロア別に並ばされるのだが、真夏は本当に地獄の様な有様で、正面シャッターが開いてからの僅か30分とは云え、ダラダラと汗が滴り落ちる。
開店音楽と、イカれた店内放送と共に間口80センチ程の入口に殺到する人の群れ。
押し合い、殺気だつ入場合戦を抜けると、三々五々思い思いの機種に目掛けて一目散に走る。
グリンピースの鉄火場の雰囲気はあの時、あの場所を経験した方は、皆、懐かしく思うのでは無いだろうか。
あのなんとも云えないドキワク感は、今の時代のイベントには感じた事がない様に思う。
やっている内容は、今とさほど変わらないと思うのだけど、何故なのかなあ。
栄枯盛衰、新宿東南口のパチンコ、パチスロ店は遂に一軒だけになってしまう、なんとも寂しいものだなぁ…。
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ミサプラハズレさんの
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このコラムへのコメント(6 件)
1月2日から書き始めたのに、書きたい事が多すぎて全然文章がまとまらなくて、3週間かけてやっと公開しました。
書いて消してを繰り返す中、やはりグリンピースの思い出はあの場の空気感だったと最終的な結論に至り、ならば、やはり階段と入口だろうと(笑)
あーセブンスポットは多分4階か3階じゃないですかね、5階は結構な期間初代コンチネンタルとニューパルサーだったと思います。
セブンスポットの頃は、僕の主戦場はグリンピースタワーに移ってました。
セブンスポットは結構入ってタワーの1階にもありました。
同じ時期の高砂ならセブンティセブンの方を良く打ちました。
僕も、こないだちょっと行きました。
31日に最後の新台入れ替えで5号機大量導入とか、最後の最後までグリンピースらしく傾き通す模様。
踊り場の照明も今と違って何百個の電球だったのもありますね^^;
ソレックスがあった時代なら、自分は5階(4階?)にあった、マイナー機の「セブンスポット」を打ちました。懐かしいなぁ。