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ラジオから
ラジオから
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TK養分さん
養分 - 投稿日:2019/03/10 04:32
お仕事で車の運転をしているのでラジオを聴いていると
「・・・震災から・・・」
そうだ
もうすぐあの震災から8年になるのか・・
私自身は東京生まれ東京育ち
子供の頃に阪神大震災を映像で観ていましたが、東日本大震災は関東でもかなりの揺れを感じました。
私は当時タクシーの運転手の仕事をしていましたが、当日は休みで自宅で揺れを感じニュースを観ていました。母親は仕事で当日は帰宅出来なかったのを覚えてます
翌日も電車が動かず職場に行けず、タクシーを待つ行列が出来ていました。
しばらくの間はラジオも不謹慎との事で明るい曲も流れずひたすら悲しさを煽る曲ばかり流れてきていた。
あの日あの瞬間本当にいろんなものが変わってしまいました。
現地の気象カメラが海から来る津波を無機質に流し続け、沿岸を覆い尽くす様を
自粛ムードなんて言葉までできた
被災された方全ての人にお見舞いの気持ちはもちろんあります。ただ被災した直後はその気持ちを伝える事すら不謹慎など言われる始末
時間が全て解決するとは思いませんが、1年に1度くらい当時の事を思い振り返る日だと私は思ってます。
あの日の震災の瞬間のラジオがいくつかYouTubeに残っているので時折聴きかえすのですが、その中の1つ当時私が聴いていたニッポン放送のお昼の番組
ニッポン放送アナウンサー上柳昌彦は当時東海震災に備えて防災アナウンスの1人として各放送局と連携して緊急放送の練習を繰り返し放送内でもしていた。
当日上柳アナはタレントの山瀬まみといつものお昼の放送をしている時にあの震災をむかえた
激しい揺れでブース内も悲鳴と物が落ちる音が響く中、1人声を抑え緊急放送のマニュアルに則り
放送を聴いてるリスナーに落ち着いた声で安全を確保するように伝える。
それでも聴きかえすと本人もやはり恐怖から声が上擦っているのがわかる。
後日談で本人も幾度もなく練習してきたが、やはりその場面に直面すると怖くて上手く出来なかったと言っている。それでも反復で練習してきたお陰でその場を混乱せずに話せたと云う
もし機会が有ればその時の放送を聴いてみてください。
ただかなりショッキングで辛い方にはオススメしません。
地震大国日本
いつどこで起こるかわからないですが、その心構えだけでも命を救う可能性があるので忘れずに
こんな時にどうしようと頭の片隅に置いておくのも良いですね
今回はスロットの話が無いのですが、あの時の気持ちを忘れないためにと書きました。
日本語苦手なのでうまく伝えられないのがもどかしいのですが、誰か1人でも伝わればと思い書きました
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TK養分さんの
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このコラムへのコメント(6 件)
コメントありがとうございます。
物理的にも精神的にも一変した出来事でした
被災者であり仕事は解雇、復興事業に従事、地震に対してトラウマ。
決して忘れられない事でした。
コメントありがとうございます。
今ちらっと探してみたら
「上柳昌彦」
これで当時の生放送のフルバージョンが出ましたが、多分他にもその瞬間の放送もあるかと思います
当時の緊迫が伝わってちょっと怖いですが、いちアナウンサーが地震に立ち向かう声に感銘を受けました私
コメントありがとうございます。
緊急時にみんなで集まる場所など話しておくと連絡取りづらい震災時に役に立つと思います。
8年… ですか。
わたしは、ホールのテレビで状況を見ていました。つい最近わたしの地方でも地震ありまして、いつか巨大地震が来ると言われていますので防災準備だけでもしておこうと思います。