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ハマるまでかかったなあ
ハマるまでかかったなあ
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ししょーさん
- 投稿日:2024/04/02 07:22
気づけば40年以上も楽しませてもらってることにまずは感謝。
ここまで続く趣味もなかなか無いよね。
おまけに、ウチの子供達よりも若い子達と、あーだこーだと楽しく打ったり飲んだりと言う場を与えてくれたパチ7に感謝(よいしょ)
さてさて10代の頃、原チャリに飛び乗ってゼロタイガーの開放台抽選に向かってたししょー少年は、まだまだパチスロって怖い、踏み入れてはいけない空間だぞって思ってた。
時は昭和50年代。パチンコでフィーバー機が出てきて、もう射倖心煽りまくり。
気づけば打ち止め個数が3000個、5000個、最後の方は1万個なんてエスカレート。
(初代フィーバーは30秒の間にVゾーン通ればラウンド数が無く、実質出っ放し。お店の決めた打ち止めまで一直線)
まあ、あまりの過激さにあっと言う間に規制が入り30秒10ラウンドになっちゃった。
ところがこの規制後に出た三共ニューフィーバーが、この趣味にどっぷりと浸るきっかけになったのも面白い。
パチンコって仕組みを理解すれば勝てるんだと、わからせてくれた台で、本物の攻略法が、長々と使えた古き良き時代でした。
そうすると、大人の空間を覗いてみたいと、当時はスロ専だった0号機のお店へ。
(パチンコと併設になるのは1号機になってから。サイズを統一してパチ枠に収まるようになり、併設が始まった感じ。それまではスロ専だったので、めちゃ敷居が高かった)
と言うか、そもそも3枚ずつ入れて打つことすら知らない少年だったから、勝ったお金で少し遊ぶ程度、残念ながらパチスロにハマるのはまだまだ先の話。
その後も軸足はずっとパチンコ
ニューフィーバー撤去後も、1300発機と言われた攻略し放題の台だったり、保留玉連チャン機だったりと。
そうそう、◯村せんせの言うリーチ目がほんと実在してた頃、出目表を見て、リーチ目だと50%、一向聴だと50%の50%だから25%で当たる。
その目が出るまでストップボタン押しまくり(ほんとにボタンで出目を決めてた時代なんだよ、で、決まった係数を追加していくみたいな、超簡単な仕組み)
あの頃のリーチ目やら、出目で天国にいるとか、あと何回転は回すべきなんて話しは結構合ってたり
(別に擁護してる訳でなく、あの頃はねって話し。それを延々と今まで続けてるからおかしくなるw)
気づけばそれらも規制が入ってついに時代はCR機に
CR機になると更にパチンコが荒くなって行く
花満開、黄門ちゃま、大工の源さん、決め手はモンスターハウス。もうひたすら打ち続けたね。
当時はラッキナンバー制で、37当たり持ち玉遊技で49交換なんて頃。2.5円交換だったし、釘なんて30/kがゴロゴロ。
まだパチスロはパチンコのおまけであり、勝ったお金を使って遊ぶもの。
まあ、そうは言いながらもひたすら打ってはいるんだけどね。
ただ1号機トロピやファイアーバードあたりは中武さんみたいな人たちが1ビッグで下皿溢れるくらい出してたのを見て、物凄く興味あったけど、なんせ目押し力が足りないから諦めた。
そうなるとペガサス、スターダスト、キャスターあたりの吸い込み機だったり、ブロンコ、アーリーバードあたりの周期タイプだったりどれもこれも結局仕組みを理解してると勝ちやすい台は、ちょこちょこと。
ただ、当時は7枚の1回交換、そりゃ勝てる訳無いよね。あくまで遊びの位置付け。
2号機になり、へぇ、クレジットって楽ちんなんて思ったり、3号機になり◯モノを気合い入れたり、4号機でリプレイって面倒だなと言いながらずっと打ってだけど、まだまだ軸足変わらず。
ここでパチンコCR機に大きな動きが!
何と確変5連リミット機の登場。
6連目が確変だとしても強制的に通常出目に書き換えられると聞き、一気にモチベーションが下がる。
そんな心にぽっかり空いた隙間に現れたのがサミーの獣王!
未だに鮮明に覚えている新装開店の異様な空気
何が起きてるんだ?
通常時に変則打ちすると、似たような出目ばかり。何だこの出目は?
たまに変な出目はチェリー
と思ったら右リール2連7が中下段に止まる
突然始まるサバチャン
これが異様な連チャンを続けていく
ここでついにパチスロにハマる瞬間が訪れた
サバチャン終了後「てってーん」と言う効果音と共にしまうま登場
第二停止でパカパカと去っていく
と思った途端!第三停止でホーホー!!!
おやリプレイが揃ったぞ
ボーナスだなと思ったら入ってない???
これが潜伏と言う概念との遭遇
いやーまいったね。この瞬間、電気が走り、これどうやって抽選してるの?と思い、ここから一気にハマって行く。
うーんここまで長かったなw
獣王登場が2000年。初めて打ってから17-8年経ってるもん
1号機登場からでも15年だもんね
(1号機は1985年。ししょー少年が20歳の髪の毛フサフサの頃)
それまでのパチスロって、基本はノーマル機で、更に演出も大したことなく、まあ言ってみればゲーム性に乏しい。
攻略法が多々あったけと、目押しザル勢からすると、そんな見えないような図柄を下段ビタしろとか出来る訳ないだろ、わかるかよってもんで、なかなかハマるまでに至らず。
まあザルとは言え、一応小役を全部取るくらいは出来るけど、記憶の最初に1号機トロピとかのビタ押し名人芸を見ちゃって、出来ないと損する感が全面に出ちゃったのがあるのが一番。
それに比べてパチンコの攻略は自分で出来たのが大きい。攻略法が無くなった後も、釘見てストローク探せば勝てると言うのが一番だったかな。
で、訪れたのが技術介入機では無く、知識介入機と言う流れ。
ちょうど雑誌で純ハズレと言う単語が脚光を浴び始めた頃、コンビニに行っては出てる雑誌を全部買い、食い入るように隅から隅まで読み尽くす。
台の仕組みがわかればわかるほど、熱いポイントがわかってきて、更に熱くレバーオン。
出目と演出の組み合わせの魅力に取り憑かれ、この演出で、ここに止まるってさぁと、この違和感を楽しみたくてしょうがなく、ズブズブとハマっていきました。
振り返ってみると、結局、台の仕組みを理解して楽しみたい
それを把握したところで、こうなんじゃね?ああなんじゃね?と考えながら打つのが好きなんだよね
やはり最初に三共ニューフィーバーで攻略を体験したのが大きいかな。
とにかく仕組みを理解すればってのが根っこにあるね。
最近まで、あまりにも6号機がつまらなく、20年近く打って無かったパチンコに復帰したりしたけど、ついに現れたエウレカにより、しばらくは楽しいパチスロが打てそう。
年と共に老眼が辛く目押しがきついと言いながらも、若いもんに負けないと、朝から終日ぶん回す
まだしばらくは楽しませてもらいまっせ!
10
ししょーさんの
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このコラムへのコメント(8 件)
いやいや、今の319の方が荒いw
昔はヘソも13個戻しなんて時代なんで、時間あたりの消費金額はそれほどでも
とは言え、当時の羽モノは100円玉積んで遊んでた時代なので、まあ破壊力抜群でしたね
当時の新装開店はお祭り騒ぎでしたね。ほんと年に何回かで、必死に台を取れれば勝ち確定みたいな
あの並びの時と高揚感
今の時代では味わえないドキドキでしたね
娯楽のひとつでしたもんね。
そして4号機獣王。擦り倒しましたよ。わたしも。AT30って流れるだけで幸せでした。今は台も進化し過ぎちゃった感もありますが、程々な感じでお付き合いしたいなぁ〜と思いますですはい。
やはり獣王の抽選システムと、リノのストックシステムは、全く理解出来ませんでしたね
とにかくあの頃の開発の人たちは楽しかっただろうなと
打ってる方がこれだけ楽しいんだから、開発現場も夢と希望に溢れてたんだろうなと
残念ながら目押シストにはなれないので、お勉強して頑張るしか無いなと。
あのトロピ、ファイアーの1ビッグで下皿溢れるのを見たら普通に打つのが馬鹿らしくて、どうやってるのかを見てたら、ちょっと教えてもらったんですよ。
挫折しましたw
知識介入という概念なんかリーチ目拾いくらいの時代に現れた、〇モノみたいなゲーム性の獣王。
流行らない訳がなかったっていう。
中身知ると面白いって流れや、『機械の隙』ってのは今でもあるくらいですからね。本当にパチスロはおもしれーっす。