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あのホール、冬にしか行けなかった
あのホール、冬にしか行けなかった
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まいちさん
2018年2月に東京から大阪に引越しましたが、いまだ大阪でマイホにしたい店が見つかってません。マイホ難民です・・・。 - 投稿日:2019/10/20 23:56
学生時代はJR列車の車内販売乗務員のアルバイトとして、
食品や嗜好品、お土産品などを売りながら、北海道から九州まで行ったり来たりしたものです。
乗務員は営業所で顔を合わせる以外には、列車に乗っていてスレ違いになることも多く、
コミュニケーションツールとして「自由帳」のようなB5判ノートが各所で活用されていました。
それは出先の宿泊所に置いてあったり、「職場」である列車内にコッソリ置いてあったり、と。
書かれている内容といえば、自分の乗務した列車の商品の売れ行きや、売上げ金額から始まり、
取り留めなくクダラナイ内容ばかりなのですが、皆、そのノートを読むことを楽しみにしており、
自分のページへのツッコミを楽しんだり、また、仲間のページにツッコんでみたりと、
アナログなコミュニケーションが展開されていました。
関西方面から長野行きのスキー列車「シュプール号」が運行される冬場にだけ、
長野駅近くの仕入れ先の酒屋の2階を借りて開設される休憩所にも「長野ノート」なる自由帳が設置されます。
そのノートも、その日ごとの弁当類の売れ数や売上げ金額の記載から始まるのですが、
時折、次のようにマイナス金額が記入されているのです。
「●● -12,000円」
もうお気づきでしょうか。
大阪から夜行列車で長野に到着し、ヒマを持て余した乗務員は帰りの列車の時間近くまで
パチンコ屋に出かけてしまうのです。
よく「長野ノート」に登場したのは「E」や「G」というホールでした。
羽根モノやフィーバー機に興じて、空しくバイト料を吹き飛ばしつつも、
「長野ノート」のネタにして楽しく過ごしたものです。
今や北陸新幹線も延伸し、長野駅前の様子も様変わりしたようです。
あのホールは、どうなったのだろうとストリートビューを開いて見ると、・・・まだあるじゃないですか!
建物は新しくなっているものの「G」という名のホールが!
一気に懐かしさがこみ上げてきました。
次回、長野に旅した際には「G」に立ち寄って、回収されたバイト料を取り返して来ます!
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このコラムへのコメント(2 件)
締め切り直前の僅かな時間で書いた文章なので読み辛かったかと思います(汗
博多・金沢・富山・新潟・函館など、空き時間は結構パチ屋に行ってた気がします。もっと観光するとかしておけば良かったかも!
寝台特急「あさかぜ3号」に乗った時、ラウンジカーの乗務員に尋ねてみたら売店の片隅に「あさかぜノート」があって、会社の壁を越えて1ページ書かせてもらったのを思い出しました。