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馬と未亡人【R18】
馬と未亡人【R18】
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ダストさん
- 投稿日:2026/09/02 16:59
科学的根拠はないが、AB型の人間はこだわりが強いといわれる。その血液型の持ち主である私は、まれにそれを強く感じることがある。
例えば外出先で用を足す前には、足した後より念入りに手を洗う。汚れた手で我が分身に触れたくないからだ。ましてや、パチスロの不特定多数の人間が撫で回したであろうレバーを触った手でピーニスに触れるなど、もってのほかである。なので、パチンコ屋ではいつも以上に周到に手を洗うことにしている。
また、普段の会話で耳にするだけならいいのだが、歌詞に「あなた」という言葉が出てくると、どうにも虫唾が走る。
幼少期より「北斗の拳」であるとか「魁!!男塾」を教科書として育った私にとって、男が女性を呼ぶ際には「お前」か「うぬ」、それが乱暴だというのなら、せめて「君」あたりが望ましい。
日本男児が「あなた」などという言葉を放つのは、私の中では言語道断なのだ。
許せない言葉遣いは、他にもある。「お」だ。
「お酢」はまだいい。
「酢」は一文字ではいささか心許ない。「お」をつけることによって、むしろその存在が鮮明になる。これは認めよう。
だが、「そば」「醤油」「寿司」まで「お」をつける必要があるだろうか。いずれも、なくても何ら問題はないし、「お」をつけることで、その言葉が中性化しているような、なんともむず痒い気分にさせられるのだ。
そんな私にとって、京成線に「お花茶屋」という駅があることは、由々しき問題である。この駅名を考えた人は、まったく罪深い。
例えば、ヤクザがこの駅の裏口で非合法な取引をするとしよう。場所を指定するために、ヤクザは「お花」という言葉を発しなければならないではないか。
その場面を想像すると少々頬がゆるむが、威圧感がウリの極道者としては、この駅名は死活問題だろう。
そして、思うのだ。
果たしてあの時目撃した男は、「お花茶屋」という駅名を口にしたことがあるのだろうか—。
⚫︎
20歳になったばかりのころ、友人とともに、ひとつの誓いを立てた。
「もし、2人で同時にパチンコで2万円以上勝ったら、絶対に夜の店に行こう」
唐突にそんな日が訪れたのは、梅雨明けが間近に迫った7月の中旬だった。2人ともパチンコが下手で勝率は良くて2割程度、2万以上という条件がつくと、その確率は1割を下回る。私の誕生日は2月だったので、目標達成まで半年近くかかったことになる。
我々は居酒屋へ向かい、祝杯をあげた。
「ついにこの日がきたな」
友人は満面の笑みを浮かべていた。その微笑みを受けて、私も「長かったな…」と返したが、実は尻込みをしていた。
当時の私は実家暮らしで、もしもこのまま夜の店に行き汚れた身になったとしたら、どのツラを下げてお母さんの手料理を食えばいいのだろうか。2杯目まではおかわりできたとしても、3杯はとても無理だろう。
そんなことを考えていたら、どんどん気持ちが萎えてきた。だが、若者特有の「意地」があった。夜の店にびびっていることなど、友人に微塵たりとも悟られるわけにはいかない。
むしろ率先して、「じゃあ、いこうぜ!」と席をたった。
しばらく繁華街を歩き、街の明かりが途切れかけたところに、その店はあった。あれこそが、私たちが目指していた夜の店に違いない。私は一歩、後退した。
もともと人見知りの気がある私は、一見の店が苦手だった。ここは「長所はコミュ力です!」と履歴書に書けそうな友人に任せることにしよう。
ところが、意気揚々と前進していた友人の足が止まった。視線の先を追う。
店の前に、一人の男が立っていた。
ダークスーツを身にまとったその男は、「お母さんはいたって普通の日本人女性ですが、父親は戸愚呂弟です」と言われたら納得してしまうような肉体の持ち主だった。
グラサン装着はもちろんのこと、肩幅が尋常ではなく首が太い。そして何より、全身から「私は極道者です」と言わんばかりのオーラを放っていた。
友人が呟く。
「おいおい……なんで戸愚呂弟がいるんだよ」
さすがは友人だ。「実は俺も同じこと考えていたよ、超嬉しい!あの戸愚呂、80%くらいだよね!」と思ったが、「こいつ…俺と一緒のこと思って嬉しがるなんてかわいいところあるじゃねえか」と思われたら癪なので、口にすることはしなかった。
とにかく、あんな男が店の前に立っている以上、入れるわけがない。もしあれが店を守る用心棒だったとしたら、マイナスプロモーションにもほどがある。客を呼び込むどころか、その存在自体が客を拒んでいた。
我々はとりあえず、男がいなくなるまで物陰に身を潜めることにした。ところが、待てど暮らせど、いつまで経っても戸愚呂弟はそこにいた。
実際に待ったのは30分ほどだったが、体感では1時間にも2時間にも感じられた。しかも、我々がタバコを一本吸い終えるころには、戸愚呂弟は二本を灰にしている。スケールそのものが違った。
もし店に入って何か粗相をしたら、その先に待っているのは、戸愚呂弟だ。そして、戸愚呂弟の登場は死を意味する。
ここまで私を引っ張ってくれたのは友人だ。だから、この先は私の役目だった。
「今日は…よそう」
雲の切れ目から月が顔を覗かせていた。友人はその光を浴びながら、「そうだな…」と呟いた。
⚫︎
打ちのめされ、あてもなく夜を泳いだ。一度火がついた若者のリビドーを鎮めるのは容易ではない。それでもどうすることもできずに、今日は解散、となった。
「帰りにエロビデオ、5本借りよう…」
ぽつりと漏らした友人の言葉が胸に染みる。何とかしてやりたい、心からそう思った。
そして、駅の近くまでたどり着いたとき、私の目にある看板が飛び込んできた。思わず友人の手を引いた。
「あれも、夜の店と言えるんじゃないか?」
私が指をさした先には雑居ビルがあった。そして、そのビルの中には高校のころから前を通りすぎるたびに「こんなとこ誰が行くんだよ」と笑っていたエロ映画館があった。
「違いねえ」
友人は即答した。私たちは顔を見合わせ頷き、その雑居ビルへ入りエレベーターに乗って、受付へと向かった。
そこにいたのは、先ほどの戸愚呂弟とは対照的な、小さく痩せた老人だった。老人はヤニ臭い息を吐きながら言った。
「一人、千円ね」
そこで、初めて上映されている映画のタイトルを確認した。
「馬と未亡人」
まだ20歳だった私たちにとって、熟女に加えて獣姦とは、なかなかの上級者向けの作品のようだ。しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
「ままよ」
意を決して、ホールへ飛び込んだ。客は私たち二人だけだった。なんとなく中央付近の席に腰を下ろす。
内容はあまりにも生々しすぎるので割愛するが、ご想像の通り、夫を亡くした女性が、馬に慰めてもらう、というようなものだ。
「まじで馬とか、ありえねえよな」
などと言っていた私たちだったが、未亡人の演技があまりにも妖艶だったため、いつしか二人とも映画に引き込まれていった。
しかし、ここでひとつ問題があった。当時の私は非常に目が悪かったが、若者特有の「メガネ=のび太」という公式に精神を支配されていたため、裸眼で日常生活を送っていたのだ。
もっと鮮明な!鮮明な画面を見たい!
そこで、友人に頼んだ。
「メガネ、ちょっと貸して」
友人はメガネをかけていた。根が優しい友人は舌打ちをしながらも、「少しだけだぞ」とメガネを貸してくれた。
予想通り、鮮明になった視界で見る未亡人は、裸眼の数百倍艶めかしく、私は馬の世界に没頭した。しかし、すぐに友人に肩を叩かれた。
「そろそろ返せよ」
またも、視界はぼやけた。メガネをかけていた直後だとより見えづらい。再び友人に強請る。
「もう一回貸してくれよう」
そんな世界で1番不毛なラリーをしばらく続けたあとに、私たちは一つの結論にたどり着いた。
右のレンズは友人の左目。
左のレンズは私の右目。
一つのメガネを左右で、2人で分かち合ったのだ。
そして、映画は終わった。
私たちは無言で映画館を出て、駅へ向かった。無理にメガネを二人で分け合ったため、つるの部分はビヨーンと外側へ広がっていた。友人は歩きながら、何度も指でメガネを押し上げていた。しかし、友人は怒ってはいなかった。
なぜなら私たちはあの夜、珠玉の名作を分かち合ったのだから。メガネ一本など、その価値に比べれば安いものだった。
そのまま友人と別れた。
汚れた身にならなかった私は、帰宅するとお母さんの用意していた大好物の鳥の唐揚げで、ご飯を4杯食べた。
満腹になり、自室のベッドに飛び込んだ私は眠りに引き込まれる直前に、明日はコンタクトを買いに行こう、と思った。
その夜は、熟女の夢を見た。
⚫︎
あの店の前にいた戸愚呂弟は、一体何者だったのだろうか。
上野駅を出発した電車は青砥方面へと向かう。
最近の京成線は、外国人観光客の増加により以前の何倍も混んでいる。澱んだ空気から逃れるよう上を向くと、路線図が視界に入った。
お花茶屋—
その駅名を見ると、20年以上経った今でも、あと日のことが、鮮明に蘇るのだった。
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ダストさんの
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このコラムへのコメント(1 件)
駅だとお茶の水も罪深いですね。